… やっぱりおかしいだろ。そう教義に書いていないという反論はあるかもしれないが、このような事件が起きてしまう背景には、日常の宗教活動の中で「教義は人命よりも重い」と思わせるものがあるということだろう。これまで何度もデモを行っていて (個人に対してこの言葉が適切かどうかも分らないが)、それ以前には爆弾テロも行われていたのだから、宗教指導者もこの事件を予見し、発生を容認していたと非難されても仕方がない。
クリスチャン・トゥデイ (2009/06/04) 米中絶医銃殺事件、カンザス州当局が容疑者を起訴
ロイター (2009/06/01) 米ミズーリ州、中絶手術担当医が教会で射殺される
クリスチャン・トゥデイのトップには「だから、あなたがたは、 “はい” は “はい”、 “いいえ” は “いいえ” とだけ言いなさい。(マタイ5:37)」という教えが書いてあるな。「考えるな」という意味だな。
クリスチャン・トゥデイにはこんな記事もあった。
クリスチャン・トゥデイ (2009/3/31) 強姦で妊娠の9歳少女中絶関係者の破門、処分取消
大司教は、少女の命が危険であっても胎児2人の命は救われるべきであり破門はしかるべき処分、と主張していた。
これも「少女の命が危険であっても教義は守られるべき」という主張だろう。
これはキリスト教の話ではないが、
クリスチャン・トゥデイ (2009/3/12) 男性を家に入れた75歳女性に国外退去処分 サウジ
イスラム教の戒律が厳格なサウジでは、宗教警察が数千人体制で男女の接触を厳しく監視している。
75歳女性が「男女の接触」て。こっちも自分で考えることをやめさせられた結果だろう。
前にも書いたけど、”Imagine”から。
Nothing to kill or die for 殺したり命を捧げたりするのに値するものは何もない
And no religion too 宗教だってそう (生命を犠牲にするのに値する宗教なんてない)
追記 (関連リンク)
Katie Couric’s Notebook: Dr. Tiller (2009/06/02)