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他者を批判するものは自らも身綺麗にしておかなければならない。特に政治の場では。そう思ってきた。

政治資金の問題、公職選挙法違反、国民に対するウソ、国会での暴言 … 数々の批難の対象があっても、与党ならば次の問題がでるまでやりすごすことができるし、たとえ辞めざるを得なくなっても次の選挙で通れば「禊は済んだ」とみなされる。一方、追求する側は、小さな瑕疵が自らの追求の武器を鈍らせてしまう。

これは政治家に限らず、SEALDs のような民間の団体でもそう。頑張っているし戦略的にも考えているし、責められる材料となりうる過激派との距離を置いているように見えたが、それでも批難する人たちがいた (何を責めているのか理解できなかったが)。在特会のカウンター団体「しばき隊」も、そのような批判を受けないように意識しているようにみえたが、徹底していなかったのかもしれない。

しかし、身綺麗であること、主張に一貫性があることを求めるのも程度があるように思う。政治において大きな目的のための戦略において、部分的に異なる政策の他党との協働も必要になるだろう。政策立案においても党員内での民主的な合意プロセスが必ずしも通せるわけではない。党員として立候補して通った以上、議会において自由な投票が許されない場合が大部分だ。

こんな記事があった。

web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第五十二回
件名:都知事選について
投稿者:斎藤美奈子

都知事選で鳥越候補と宇都宮候補を一本化する際に、都知事選に出るという宇都宮氏の自由と権利を、「勝てる」ことを優先し潰したという。

 「Uさん、下りてくれてありがとう。あなたの政策はTさんが受け継ぎます」とかいってる人たちは、「英霊のみなさん、お国のために死んでくれてありがとう。あなたの遺志は私たちが引き継ぎます」といってるのと同じだってことを胸に刻んでほしいよ。

痛烈だ。

 個人の権利をつぶしておいて、都知事選に勝ったところで、何もいいことはない。もうこの人たちに、自民党を攻める資格はない。「民主主義をふみにじるのか」「言論を弾圧するのか」って、もう言えないもんね。自分たちが個人の被選挙権をつぶし、彼に投票する機会を奪い、この経緯に疑問を呈する声にも「黙れ」って、民主主義をふみにじってるのはどっちなの? 自民党の改憲草案だって批判できないじゃん。憲法13条の「個人として尊重される」の文言にもとることをやったんだからさ、自分たちで。

確かにリベラル勢力としては「民主主義をふみにじってる」と言われれば反論し難いかもしれない。

しかし、目的は「勝つ」ことではなく、都民にとってベストである (と思う) 都知事*を選ぶことではないか。その思いは宇都宮氏も同じであろう。たとえ自分がベストだと思っても勝てなければ仕方がない。その次善のために身を引くという決断だったであろう。そこまで含めて自由意志を考えよう。

リベラルは、綱領とかに縛られ保守的になる傾向があるが、国民のために、現実的、戦略的になって良いと思う。

* 鳥越さんがベストかどうかはここでは保留。

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