「転び公妨」続き。

森巣博氏の「越境者的ニッポン」第15回「日本は法治国家なのだろうか?(前)」ではジャーナリズムに関しても問題提起している。

しかしこのドキュメンタリー・フィルムが提示した恐怖は、その点ではなかった。当時、オウム真理教の亀戸・新東京総本部前には、何人かのジャーナリストがつめていた。そのジャーナリスト達は、警察によるこの無法行為を、にやにや笑いながら眺めていたのである。

森巣氏は、三権分立の相互監視はそれだけでは機能せず、その相互監視が機能しているかどうかを監視するのがジャーナリズムだとしている。

マスコミを監視しなければ行けないのは市民であり、そこに市民ジャーナリズムの価値があるだろう。お上にたてついて逮捕される人たちを批判する人達は、大本営発表をそのまま流すマスコミからの情報に基づいて批判しているのだろう? 私には、お上にたてついて逮捕される人たちを批判する人達と、マスコミのことを「マスゴミ」と一批判する人達が同じに見えて仕方がないのだが。

これも九郎さんの「韓国での李政権批判デモについてメモ」で知ったのだけど、

ネットの「祭り」がリアルに炎上した韓国・抗議デモの事情 (IT-PLUS 7月1日)

 警察による鎮圧や、女子大生が機動隊に頭を踏みつけられ負傷したこと、ベビーカーにまで容赦なく放水する警察の姿が生中継されたことで、さらに集会は激化した。個人放送局の中継動画に触発されて、もう黙ってはいられないと集会に参加したという主婦もたくさんみかけた。集会は過激になりすぎ、一部暴徒化しているとの報道もあった。

ほとんどの携帯電話にカメラが付いていることから、警察が暴力を振るおうとすると一斉にカメラを向けて証拠写真を残したり、集会の参加者の顔写真を撮影する警察の顔写真を逆に撮影して「この人に気をつけろ」とブログに書き込んだり、ろうそく集会が始まった5月初めからポータルニュースもブログもコミュニティーも動画投稿サイトも個人放送局も、集会の様子を伝えるネットユーザーたちの写真、動画、書き込みで溢れかえっている。

いつもは韓国の民度の低さには批判的なのだが、こういう権力を監視する姿勢をもっているところは学ぶべき点だと思う。

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