「命の軽重」続きです。

前回の人質事件で「自己責任論」という概念が提示され、それが正しいものとして定着したかのようだった (今は違ってきている、と信じたい)。 それが受け入れられた背景には、人質の家族の対応に対する反発もあったように思う (これは「覚悟が足りない」で書きました)。香田さんのご両親のように、一番悲しいのは自分達であるのにも関わらず国民の皆さんに謝罪、感謝されている姿があれば違った世論になっていたと考えられる (そんな香田さんのご両親に対して批難の電話をする人も多いそうですが)。

だが、この「自己責任論」って定義された概念なのか。聞いている限りでは、

危険を顧みず、忠告も聞かず出かけたのだから、誰も助けない。また、誰にも助けを求めるな

というように言っているようだ。

ここのタイトルに「自己責任は自分に対しての責任」と書いた。これは、社会に対してまで責任を取れというべきでないといっている。忠告聞かなかったから、
・自分が面倒な状況に追い込まれる。
・恐いめにあう。
・苦しいめ、痛いめにあう。

これらで十分じゃないの? 助けてくれって言っているのに「そのまま死んでしまえ」と言えるほど悪いことをしたの? 国のお金や政府・役人の労力を使うのがそんなにもったいないの? 忠告聞かなかったらそれだけ命が軽くなっちゃうの? などと思う。

・甘い話にのって詐欺にあったら、警察は捜査して犯人を逮捕してくれるんじゃないの? 裁判所は懲役刑を宣告してくれるんじゃないの? お金はあまり戻ってこないかもしれないけど。
・警告を無視して川の中洲でバーベキューしていた人たちに対して、救助隊は罵声を浴びながらも救助しようとしたよね? 全員は助けられなかったけど。
・自殺しようとしているしている人も止めさせようとするよね? 飛び下りちゃったら命は助けることできないかもしれないけど。

もちろん、最善を尽くしても、全てが事件事故がおこらなかったのと同様にはならないかもしれない。国が国民の命や人権や財産を守るということは、あらゆる場合において保証することを意味している訳ではない。ましてや外国では制約も多い。上記3つの例で、「〜けど」とつけたのはそういうこと。そこは本人に自己責任として受けてもらうしかない。

思い出しました。これって、そふぃあさんの受け売りだった (「レベルは違うけど」2004年4月20日)。

「風邪ひいたって、お母さん知らないよ。
自分で薄着がいいって言ったんだからね」
…..

結局、うちの子は薄着で出かけた。
子供の、服を選ぶ自由の権利を
母は認めたのである。
一応、お母さんは知らないよ、とは言ったけどね
風邪ひいたら、しかたない。
看病するのが 親のつとめだもの ね。

ここでは「熱や咳が出て、苦しい」ってとこまでが自己責任ということになるだろうか。

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