「命の軽重」で書きたかったことの一部だけまず書きます。

香田君の事件がおきて、小泉首相はすぐに「自衛隊は撤退しない。テロに屈することはできない」と発言した(毎日新聞 2004年10月27日)。テロに屈しないというのは世界の共通認識といえるだろう。自衛隊を撤退させないというのはこのタイミングでは正しい選択だ。

「ブッシュとケリー: 同じ穴のムジナ」で紹介している記事「大詰めの選択: 米大統領選の焦点/中 小泉首相、過度の“親ブッシュ”」 (毎日新聞 2004年11月2日)に以下のような記述がある。

「人命は地球より重い」と言ってダッカ・ハイジャック事件(77年)で超法規的措置に応じたのは当時の福田赳夫首相だ。その福田氏の書生をしていた小泉純一郎首相が、イラク武装勢力による「自衛隊の撤退要求」を即座にはねつけ、帰結として香田証生さんは無残な姿で発見された。

この27年間で人の命が軽くなったわけではない。変わったのは、テロリストと取引してはならないという原則が、米同時多発テロ以降、各国の指導者にとっての戒律になったことだ。「テロに屈しない」は、テロとの戦いを最優先とするブッシュ米政権への政治的な同調宣言でもある。

ここでは、「テロリストと取引してはならないという原則が、米同時多発テロ以降、各国の指導者にとっての戒律になった」とあるが、ハイジャック事件の時点で「原則」というものではなくすでに「戒律」になっていたように思う。日本の決定が世界から大きな批判をうけ、はじめて私はそれが世界のルールであることを知った。その後、それで解放された日本赤軍のメンバーが国際テロリストになり犠牲者が多く出たこと、その後発生した事件では他国政府は人質に犠牲が出ても突入するという対応をとったことで、「テロに屈しない」ということが世界の常識であるということを再認識していったと思う。

しかし、「テロに屈しない」ということには2つの意味がある。
・取り引きをしない
・犠牲者が出てもテロリスト=犯罪者を逮捕する (場合によってはその場で射殺する)。

今回、小泉首相は「取り引きをしない」という点では正しい対応をとったといえる。身代金の交渉があったということだが、それは相手の要求が自衛隊撤退ということであれば代案を出したことであって納得のいく対応と言って良いと思う。

だが、香田君の殺害という犯罪に対しての対応はどうか。最悪の結末を迎えたみたいな言われ方をしているが、これでこの事件は終わったと認識してはいまいか。テロと戦う決意を示すと言うならば、犯人の居所をつきとめ犯人を拘束するということまでやってはじめてテロと戦ったといえる。

このためには、イラク政府と協力して行わなければならない。イラク政府が許すならば日本から特殊部隊を投入してもよい (現段階では外国での行動までは法整備と訓練ができてないと思いますのでこれは理想論)。これはアフガン戦争の手法=そこに住む民間人の犠牲を厭わないということをいっている訳ではない。あくまでも犯罪として扱うということだ。

自衛隊の撤退に関しては「覚悟が足りない」で述べたが、別の文脈で行うべきであろう。自衛隊は米軍の支援に行っている訳ではなく、イラクの復興支援に行っているのだから、
・まだ戦争は終わっていないという現実を再確認する
・アメリカの意志でなくイラク政府の求めに応じて行う
・求められる支援を行う (雇用や景気回復が求めていることならば自衛隊でなく民間の力をつかって行う)
ことが必要になる。これらから得られる帰結は、「現段階ではひとまず撤退」ということになる。

これ以上に自衛隊の撤退の意味で重要なことは、「イラク戦争は間違っていたことが分かった」ということだ(もともとそうだったと思うのですが現在言うべきこととして)。これはただの侵略戦争であることが明らかになった。我々は侵略者に与しないというメッセージを発する。

ぶち総研さんの「社説比較。武器輸出三原則見直しへの反応」へのコメントで私は

組んでいる相手が尊敬される存在ならば良いのですが、ギャング団だとしたらその一味とみなされる訳で、直接攻撃を受ける可能性は低くなるかもしれませんが、テロを受ける可能性は格段に大きくなるでしょう。今はまだ発生していませんが、テロによる揺さぶりの効果を考えると、打たれ弱そうな (戦力ではなく覚悟ができていないという意味です) 日本が狙われる可能性は、米国本土よりも高いのではないかと思います。

と書いた。この点は、愛のまぜご飯さんの主張(「妄想」)、冬瓜茶さんの主張(「理解ができれば許せるというものでもあるまい」)と同じと思う。

これで議論が進めば、香田君の死は無駄にならず、ヒーローになりえるのではないか。派兵の意味がこれまで十分に議論されていないといことがなさけないことなのだが。

ただ、小泉首相には「これまで間違っていました」と自らいう勇気はないだろうな。

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